「わたしはあるとき大学生上がりの若者に、ジャン・ジャック・ルソーがその『懺悔録』で告白している逸話を話して聞かせた。彼がもう一人前の青年になったとき、ふつう人が隠している肉体の一部を露出して、それをそっと物陰から外へ突き出しながら、そばを通りかかる女を待ち受けるのを好んだという一条である」
じんぐるべーる、じんぐるべーる、す・ず・がなるーあぼお!(クリスチャン・ファンデメンタリストの凶弾に倒れ死亡)
てな具合で、最近は空飛ぶサーカスのDVDを観てはケタケタ笑っているという次第なので、その影響を避けることが出来ないのですが、僕は笑っているだけの人間じゃなくて、音楽もする人間なんだ、ということを誇示するために、前回のライブの感想でも記してみましょう。
ライブハウスというところに行くとまずおもってしまうのは、一体自分は音楽というもの、いや、ライブで生で演奏される音楽に何を求めているのだろうか?という疑問をいだかずにはいられない。(こういう批判的なな文章を書こうとすると、自分の中での検閲機能が作動してしまうのは悪い癖だ、でも、これは自己批判ですよ、自己批判。ちょっとしたエクスキューズ)なんだか、普通に演奏されても、普通に美しい旋律を奏でられても、普通に狂おしい感情を発露されても、「僕は、そんなもんいらないよ!」。音楽というよりも、とんでもないハプニングを望んでいるような気がしてならないのでアール。一人の狂人が現れて、世の中にあるもの全部、ほんとのこというと、ジョークなんだよ、と証明してもらいたいのかもしれない。
最近の自分のライブを思い起こしてみても、守りに入ってしまった、という観が否めない。やはり、真面目に音楽を追求している人の中に紛れ込んでしまったり、かなり限られた範囲の中にしろ、人から評価されてしまうと、「よい音楽を提供しなければ」という、勝手な使命を自分のなかに感じてしまっていたのでした(もちろん、よい音楽というのも重要な点ではあるが、わるい音楽よりもいい音楽を聴きたいが、いい音楽も所詮いい音楽でしかないだろ、という・・・僕捻くれてますか、せんせー!)で、自分の出発点は何だったのか、というと、徹底的な絶望であって、結局音楽なんかで感動しても虚しいじゃん、というものであって、そーゆーことなら一生白痴みたいに笑ってたい、ということなのかもしれないが、これは極端な意見に傾きすぎているのかも。
やはり、僕はミュージシャンになれない。いや、なりたくない。負け惜しみじゃないぜ。みんなクソを食らえばいいんだ。へへへヘーン。
ああ、時の流れがとまってしまった悲しみに、ハイル・ヒトラー!バン!(ヒューマニストの手にかかり、二たび死亡)
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2007年12月25日 日記『野糞』 powered by MC Analhair トラックバック:0 コメント:0
1222(土) もはや事態は総力戦。とはいえ、打ち倒す側も俺で、打ち倒される側も俺、いとマスターベーショナルなことよ・・・
Next Live is...
12/22(土)
パラダイス企画「天才の殉教」
場所 新宿
ウルガーッ!開場 18:00
開演 18:30
料金 ¥1000
(なんか知らんが、めっちゃ安いぞ!おい、大丈夫なのか?大丈夫なのか?寝たら駄目だ、死んでしまう、己に克つんだ!)出演
まめッこ 昆虫キッズ チナスキーランチボックス and young... パラダイスもうすでに本年を振り返るべき時期となってしまい、巷では、せわしなくスクーターで走り回る坊主を見かけては「なんで坊主なのに坊主頭じゃないんじゃい!!」という抗議の声が例年のごとく巻き起こっている。そんな喧騒を尻目に僕は僕は僕は股間の痒みに耐え切れなくなったから、人目を忍んで、かきむしりつつ、「ふぁあ~、今年も良い年だったなあ!」と満面の笑みで、道ゆく人をにらみつける。「そいつは座敷牢もんだぜ!」とKが小声で囁いたので、耳たぶを噛んでやった。結局、何が言いたいのかというと、何も言いたくない!bye!
2007年12月22日 Past Live トラックバック:0 コメント:3
アイム ソー 尻ー。
○覚え書直線的な時間概念という条件のもとでのみ、新しさとか出来事のユニークさなどが考えられるというのは明らかである。
……
連続性についてのローマ人の感覚はギリシアでは知られていなかった。ギリシアでは、あらゆる死すべき者に固有の変わりやすさは、何の安らぎや慰めもなく経験されていた。そして、ギリシアの哲学者に、人間事象の領域をあまり大真面目にとりあげる必要はなく、この領域に過分の尊厳を与えるのは避けるべきだと教えたのはこの経験だった。人間事象は絶えず変化するが、完全に新しいものは何も生み出さない。もし、日の下に新しいものがあるとすれば、それは、人間が世界に生まれたという意味で、人間それ自身だった。しかし、どれほど若者、つまり新しく若いものが新しくあろうとしても、彼らはすべて幾世紀を通じて本質的にいつも同じ自然的、歴史的光景のなかに生まれ、死ぬだけであった。
ハンナ・アーレント『革命について』(清水速雄・訳)
○日記「モンティ・パイソンの空飛ぶサーカス」のDVDBOXを買っちまった。
けどさ、日本語字幕オウンリーでさ、英語字幕がついてないンだ。これはショックだ。
いわゆる「ブログ」であれば、携帯でその現物を写真を撮って、ワーーーーーイ!!!とか叫んだりして、祝祭的ムードを無理矢理でっち上げて空騒ぐべき、なのだろうけれども、その種の芸当は今の自分には不可能である、というのも、肝心の携帯がナイからであり、つい先ごろ(感覚的にはexactlyだが、暦の上では、もう夏も終わろうという頃)、携帯が便所に着水、故障、そのまま放置していたところ(料金の支払いさえも)、いつの間にか解約の通知が届いていた、という次第だからである。
(その分の余剰が、今回のDVDにつながっているのだから、世の中、何が起こるかわかったもんじゃない…って、おまえはアホか?)
○覚え書最近、再び生活が人間味を帯びてきた模様である。
俺『日記』(俺・訳)
2007年12月16日 日記『野糞』 powered by MC Analhair トラックバック:0 コメント:4